三丁目の夕日

月次の仕分け作業も滞っているから
今月はハナカラあきらめていた。

『オールウエィズ 三丁目の夕日』の映画鑑賞。

甥っ子から ファボーレで今日は、会社の展示会なんだ。
とか聞いて、
ファボーレ→映画鑑賞→スパゲテイとワイン
お互い仕事が終わったら ファボーレで落ち合って、
映画と食事を一緒にしようね。って 即 決まった。

それを励みに昨日が始まったんだ。

大分、作業用車両が汚れていたから
清掃からはじめた。合羽やゴム手も
お洗濯したりして そろそろ本業にとりかかるかなって。
そしたら、仕事で富山へ移った劉さんが 
中国人の劉さんが電車を乗り継いで
ひとりで遊びにいらした。

富山でもお墓の仕事で
石張りしたり目地したりしていますって。
彼は直談判みたいに社長に唐突に言ったんだ。
「もう一度ここで、使ってほしい」。

中国の方を雇用するには色々とクリアしないといけない。
斡旋会社と契約したり出資金をだしたり
手続きやそれなりの経費もかかる。
劉さんとは何の問題も生じなかったけど
斡旋する中国の会社とは食い違いがあったり
かみ合わなかったりして、当分取引は面倒なかんじがしていた。

単純には雇えない『関係』が劉さんと我々とには介在したから
社長は「気持ちは嬉しいけど だめなんだよ」って。

彼と殊に親しかったNさんを呼んで
仕事を抱えていた私たちのかわりに食事に行ってもらった。

福野駅まで見送って彼と別れた。
むこうで使っている自転車は古くてギヤチェンジもできないって聞いたから
うちで彼が使っていた自転車を取りにくる約束をキズナにして。

『三丁目の夕日』を観た。
素直なきもちで、幾度か泣いた。くすくす笑った。

昭和33年、東京タワーの建設中の風景に始まって
完成したタワーを夕日にうつして映画がおわった。
セーターの継ぎはぎをいやがる一平(いっぺい)に お母さんが
「困ったときにあけてごらん、お守りが入っているから」 って言った、
その台詞は後の場面に続く台詞なんだろう、としか私は解釈しなかった。

彼は友人の生みの母親をたずねてふたりで行きの電車賃しか持たずに
でかけ 身をひそめて会ってくれなかった母を後に小雨に打たれながら
帰りを思案して二人で泣いていた時 母の「困ったときに・・」の言葉を思い出す。
セーターの継ぎはぎをめくったら、一枚の紙幣がでてきてわんわん泣くのだ。

夫はその場面を
昔、自分も修学旅行に行ったとき
母親が小遣いとは別に 財布を落としでもしたらと
制服の裏側にお金を縫い付けてくれた、と素直に納得していた。

わたしにはそんな経験がなかったから 夫の回想は
この物語の時代考証のように思えた。

バブルのときならこの映画は作られなかっただろう。
西岸良平の漫画を原作にしながら
微妙に違えて映画は成っていた。
20歳ごろから読み始めて最近2,3年ご無沙汰していた
西岸良平の『三丁目の夕日』。まだ連載していたんだ。

スゴイね。
by f-sekkou | 2005-11-21 14:20 | 日常


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